石ころ

聖書のことばと詩と短歌や俳句などで書いています。息子の美しい写真とのコラボです。

2008-02-01から1ヶ月間の記事一覧

「小犬」(マルコ7章から)

律法学者やパリサイ人から、弟子たちが手を洗わないでパンを食べたことでイエス様がとがめられている。「汚れた手」であり、昔からの言い伝えを守っていないと。彼らは多くのしきたりを完全に守ることを誇り、そのことをもって人々を裁いたから、弟子たちの…

いちじく (マルコ11章から)

イエス様は空腹を覚えて、いちじくの木に実を探されたけれど実は成っていなかった。5千人以上の人々にパンを与えられたお方が、空腹を知って居られたことに親しみと感謝を感じる。ご自身のためには40日40夜の断食の後でも、1個のパンも用意されなかっ…

また,パン

「『こんなへんぴな所で、どこからパンを手に入れて、この人たちに十分食べさせることができましょう。』すると、イエスは尋ねられた。『パンはどれぐらいありますか。』弟子たちは、『七つです。』と答えた。」(マルコ8:4~5) 6章でパンの奇跡を経験…

傷跡

何の脈絡もなく 流れ星のように心を横切る 過ぎし日の断片 どれもこれも刃物を帯び 一瞬に心を切り裂いてゆく 後悔だけじゃない かっての喜びさえも痛みとなる そんな無数の傷跡に イエスさまの血潮 したたり落ちて 傷に沿って流れる それは温かいイエスさま…

五つのパンと二匹の魚を捧げた少年

イエス様の「パンはどれぐらいありますか。行って見て来なさい。」というお言葉に、「は~い。あります!」と、少年は大喜びで自分のお弁当を差し出したのだろう。少年はなにも考えなかった。ただ、自分が持っていたことが嬉しかっただけ。きっとそれは、あ…

殺されるまで教え続けて(マルコ6章から)

イエス様の郷里の人々は、イエス様のわざやことばの力を見聞きしても、「この人は大工ではありませんか」と、「わざを見て信じる」という救いのチャンスを失った。彼らの不信仰に驚かれたイエス様は去って行かれた。不信仰は私たちの日常の身近なところにあ…

ヤイロ(マルコ5章から)

「私の小さい娘が死にかけています。どうか、おいでくださって、娘の上に御手を置いてやってください。娘が直って、助かるようにしてください。」 ヤイロはイエス様の足元にひれ伏して一生懸命に願って言った。この箇所を読むと心が痛い。瀕死の小さい娘にヤ…

ゲラサ(マルコ5章から)

ゲラサの墓場で悪霊に憑かれて狂っていた男よりも、豚を飼っていた人たちの方が救いからは遠かった。金持ちが救われることはらくだが針の穴を通るより難しいことだとイエス様は言われたけれど、2000頭の豚よりも、自分のすべての財産よりも、イエス様の…