石ころ

聖書のことばと詩と短歌や俳句などで書いています。息子の美しい写真とのコラボです。

2016-01-01から1年間の記事一覧

この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。 マルコ13章

マルコ13章を読んでいて、すぐに「わかった」と思った。つまりは、「滅びることのないみことばに聴いているなら、それが目を覚ましていることであって備えは出来ている」と・・。 携挙がいつとか、再臨がいつとか、いつ召されるのか・・それはもうすでに約…

はなむけ マルコ12章(Ⅲ)

律法学者がひとり来て、その議論を聞いていたが、イエスがみごとに答えられたのを知って、イエスに尋ねた。「すべての命令の中で、どれが一番たいせつですか。」 イエスは答えられた。「一番たいせつなのはこれです。『イスラエルよ。聞け。われらの神である…

愛の完成 マルコ12章(Ⅱ)

イエスは彼らに言われた。「そんな思い違いをしているのは、聖書も神の力も知らないからではありませんか。 人が死人の中からよみがえるときには、めとることも、とつぐこともなく、天の御使いたちのようです。 復活を信じていないサドカイ人の屁理屈に、イ…

「カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」マルコ12章(Ⅰ)

イエスは、たとえを用いて彼ら(祭司長、律法学者、長老たち)に話し始められた。 「ある人がぶどう園を造って、垣を巡らし、酒ぶねを掘り、やぐらを建て、それを農夫たちに貸して、旅に出かけた。 季節になると、ぶどう園の収穫の分けまえを受け取りに、し…

「天におられる父」の赦し マルコ11章(Ⅱ)

聖書は二千年前の記事が、今一人ひとりの必要を満たす不思議な本。時にも場所にも縛られない霊のことば。聞く人を知り尽くしておられる助け主が、私たちを導いていてくださる。 あなたがたのばあいは、キリストから受けた注ぎの油があなたがたのうちにとどま…

「ホサナ、ホサナ」のクリスマス マルコ11章(Ⅰ)

さて、彼らがエルサレムの近くに来て、オリーブ山のふもとのベテパゲとベタニヤに近づいたとき、イエスはふたりの弟子を使いに出して言われた。 「向こうの村へ行きなさい。村にはいるとすぐ、まだだれも乗ったことのない、ろばの子が、つないであるのに気が…

猟犬

初冬のきっりっとした空気の中に、一枚脱いだ上にパーカーを羽織って飛び出した。 すると、向かって行く先にリードを付けない白犬の群れが・・1、2、3、4、5頭!人の姿は見えない。穏やかな感じだけれどこれは猟犬だ。有害鳥獣駆除を日曜日に時々やって…

「目が見えるようになることです」 マルコ10章(Ⅲ)

一行はエルサレムに上る途中にあった。イエスは先頭に立って歩いて行かれた。弟子たちは驚き、また、あとについて行く者たちは恐れを覚えた。 すると、イエスは再び十二弟子をそばに呼んで、ご自分に起ころうとしていることを、話し始められた。 「さあ、こ…

一心同体 マルコ10章(Ⅱ)

私が「洗礼を受けたい」と主人に話したとき、「俺を折伏しょうと思うな」ひとこと釘を刺して許してくれた。主人を説き伏せるような、そんな賢いことができる私ではないので素直にうなずいた。 それから30年後のお正月に、主人は仕舞い込んでいた洗礼の申込…

イエスさまに見つめられて マルコ10章(Ⅰ)

パリサイ人たちがみもとにやって来て、夫が妻を離別することは許されるかどうかと質問した。イエスをためそうとしたのである。 彼らがイエスさまを試す動機はいつも否定するためであったが、イエスさまは彼らに御父を語り続けられた。 創造の初めから、神は…

心に在るキリスト像(Ⅱ) マルコ9章

ヨハネがイエスに言った。「先生。先生の名を唱えて悪霊を追い出している者を見ましたが、私たちの仲間ではないので、やめさせました。」 しかし、イエスは言われた。「やめさせることはありません。わたしの名を唱えて、力あるわざを行ないながら、すぐあと…

心に在るキリスト像(Ⅰ) マルコ9章

ペテロの告白の真実を見せようとイエスさまは、彼らを山に伴われ神のキリストの御姿を見せてくださった。 ペテロと、ヨハネ(彼には将来、天の御国を見るための備え)と、ヤコブを伴われたのは証人としてである。一人で非現実的なものを見ても、夢まぼろし・…

「初めての・・」

初めて、自分の名前のクレジットカードを、それもひとりでネットで手続きをして作った!自分に自信のない私には勇気の要ることなのだ。 息子に奇麗なカードだとほめて貰った。どうでも良いことかも知れないけれど・・。 そのカードを使って、自分の判断でパ…

告白 (マルコ8章)

ペテロが答えてイエスに言った。「あなたは、キリストです。」 ペテロがイエスさまを告白したことで、イエスさまはこれからご自身に起こることを話された。 人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、殺され、三日の後によみ…

「そうまでいうのですか」 (マルコ7章)

娘が悪霊につかれた異邦人の女は、 「食卓の下の小犬でも、子どもたちのパンくずをいただきます。」と、イエスさまのお言葉を願ってあきらめなかった。 そこでイエスは言われた。「そうまで言うのですか。それなら家にお帰りなさい。悪霊はあなたの娘から出…

「しっかりしなさい」(マルコ6章)

イエスさまはお弟子に「あなたがたで、あの人たちに何か食べる物を上げなさい。」と言われた。男だけで五千人にもなる群衆に弟子たちは戸惑う・・、 イエスさまは「パンはどれくらいありますか、行って見てきなさい」と言われ、お弟子は群衆の中に五つのパン…

戦友Ⅱ

月曜日に37年ぶり、聴覚障害のある子の幼稚園児時代を共にした戦友との再会を果たした。 約束の場所に十五分前に無事に到着して、改札口でドキドキしながら・・行きすぎる人を見回して待った。「分かるかな・・少なくとも私が見つけない限り、向こうからは…

「恐れないで、ただ信じていなさい」 (マルコ5章)

「死にかけている娘を助けてください」という会堂管理者の願いによって、イエスさまは彼の家に向かわれた。しかし、途中で娘は「亡くなった」という知らせが届く。 イエスさまは「恐れないで、ただ信じていなさい」と言われた。 彼はイエスさまの言葉を聞き…

神の国 (マルコ4章)

聖書を順序に従って読んでいるときは良く分からないけれど、読み終えて祈りつつ振り返った時に、パラリと開かれることがある。 「神の国は、・・からし種のようなものです。地に蒔かれるときには種の中で一番小さいのですが・・」 「神の国」が「小さい」とは…

霊に拠る家族 (マルコ3章)

汚れた霊どもが、イエスを見ると、みもとにひれ伏し、「あなたこそ神の子です。」と叫ぶのであった。 イエスは、ご自身のことを知らせないようにと、きびしく彼らを戒められた。 サタンも悪霊もイエスさまを良く知って居る。しかし神を証しするのは神ご自身…

神の権威を見る(マルコ2章)

先日、何十年ぶりに会う約束をした方から野菜がどっさり送られて来た。退職されたご主人との仲睦まじい家庭菜園作。都会から田舎へ逆送・・ふふふ。 電話を頂いた時、「ひとり暮らしなので送らなくてもいいよ。今度会う時に、サツマイモを1本持って来て」と…

黙って受ける (マルコ1章)

今日からマルコ書を読む。 ツァラアに冒された病人がイエスさまに願ったとき、イエスさまは深く憐れんで手で触れて癒され、直ぐにツァラトが消えた人にイエスさまは厳しく戒めて、「誰にも何もいわないように」と命じられた。 癒し主のあかしが禁じられるよう…

追悼

いのちの恩人である友が天に召された。私よりもずっと若い方なのに・・癌との壮絶な戦いの後であった。それでもご近所の方は笑顔を見たばかりだと言われた。 訃報を聞いて胸の痛みで動けなくなった。主にすがりみことばに励まされて駆けつけた。 しかし、承…

いのちの冠を奪われないように

温かい湯船にゆっくりと浸かると、「ああ、ええ~気持ち・・イエスさま感謝します」と口に出る。 「今日のみことばは何だったかなぁ・・、何に感動したのだったかなぁ・・」と記憶を手繰るがほとんど直ぐには出てこない。 やっとして・・「キリストが私たち…

戦友

久しぶりの雨。冷たい雨粒が紅葉した柿の葉をすべり、赤い千両の実を濡らして1日中しとしとと・・。 最近、不思議なことが続いている。20年近くなる交わりが突然再会されて驚いた後に、30年以上昔の方からお誘いが来た。 年賀状ではいつも「会いたい」…

秋の夕べのゴンチチコンサート

町政60周年の催しで「ゴンチチコンサート」、歩いて行ける距離という夢のようなチャンスだった。 チラシを見て郵便局へ飛んで行き往復葉書を購入する時、「ゴンチチでしょ。素晴らしいですよね。当たったら良いですね。」と窓口の人に話しかけられて、なん…

真っ赤で真っ白な日記帳

2017年の日記帳が届いた。執着した真っ赤な表紙でたっぷり書ける日記帳。 どうしても今年と同じ物が欲しかったのにお店ではころっと忘れた。主人が居た時は「早く買え」と注意してくれたのだけれど・・。 先日、はっと気づいて慌ててお店に電話をすると「…

ガラス越しに

晩秋の窓辺に 一鉢のポインセチアと陽を分けて温もり かすかな秒針の音をしんと聞く 燃えるよな赤い花びらの 脈打ついのちを聞き取ろうと心を傾けている間にも 光は移ろい行くから・・ もう胸にしまって さあ、立ち上がって ぴかぴかに窓を磨こう!

ヨブ記に思う

ヨブ記は色々な思い出がある。厳しく取り扱われた箇所だから・・。でも、確かな望みを与えられた箇所でもある。 ヨブ記を読み始めてまずヨブに「変だなぁ」と思った。 これほどに神様の祝福を受けているのに、神様から子供達を守ろうとしているように思えた…

賢い娘のように (マタイ25章)

そこで、天の御国は、たとえて言えば、それぞれがともしびを持って、花婿を出迎える十人の娘のようです。そのうち五人は愚かで、五人は賢かった。 愚かな娘たちは、ともしびは持っていたが、油を用意しておかなかった。(マタイ25:1~3) 油は人が支配…