2015-01-01から1年間の記事一覧
今年も一年間ありがとうございました。 私はおせちの準備もほどほどに、息子たち家族に囲まれて、 まったりと過ごさせていただいてます。 皆様には、良き新年をお過ごしくださいますように。 新しい年もどうぞよろしくお願いいたします。
クリスマスの喜びと、人の悲しみに疲れて門口に出ると 暮色が迫る中にきらりと きらきらと光る木が浮かび上がった。 外灯の明かりを受けて 枝の先にきらきら 小枝に並んできらきら・・ 幾つもいくつもの雫が 光の玉となって輝いていた センリョウ、マンリョ…
「キリスト教の神はずいぶん狭量・・、」 罪に対して曖昧に処理できない故に、そうだと思います。 だから、「これは私の愛する子」と言われたひとり子イエスに、 人間の罪を全部背負わせて死刑にすることになってしまったのです。 しかも、人類の罪をすべて…
鍵を外して戸を開けると、橋の向こうは雨にけぶっていた 薄紫のひやりとした空気の中で、今日のストーリーがささやかれるから 赤い椿からすべり落ちる滴に耳を傾け・・立ち尽くす ひとつの朝がページを開き ひとつの物語を雨音が語り続ける。 あなたの声を聞…
イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。(マタイ18:22) 「赦せない」と言うことは主への叛逆である。 しかし、主の祈りでは私たちが無条件の赦しを求め、次に私たちも赦しますと教えられた。 それは、私た…
クリスマスの喜びに対する違和感があった。今朝その根拠がなにであったかイザヤ53章を読んでいて気付かされた。 救いはクリスマスから始まって十字架に至ることで完成する。クリスマスを、キリストの来臨と喜んで終わっている事に苛立っていたのだ。それでは…
ヘルシオをなんとか使いこなそうと、マニュアルを何度も繰りつつ・・楽しんでいる。時々、適当に扱って失敗もする。 まず基礎には忠実でなければならないのだと、重いマニュアルを読み・・しかしこれが扱い難い。一冊に収めないで分けてあれば良いのに・・年…
若い頃はずっとクリスマスはクルシミマスだった。何も持たないことがひとしお身に染みて淋しい季節だった。 プレゼントも家族も居場所さえなくて、クリスマスソングもショウウインドウーの煌めきも私には無関係であった。 両親も祖父母も亡くして、空虚さの…
結婚した当初、主人に誘われて大川で鮎釣りをして遊んだ。川底まで差し込む光がキラキラと光り、小石の一つひとつが白く見える奇麗な川だった。 友鮎を付けて貰って示された流れに棹さすと、鮎の動きが手に伝わって来てそれだけでも楽しかった。 釣り名人の…
ゆっくりデボーションの後で、冬晴れの真っ青な空の下に洗濯物を干し、時々吹きつける風に弄ばれながら玄関回りの落ち葉を掃き集めた。 コーヒーをゆっくり飲んで、先日来どうにも気になって仕方のない台所の大掃除にやっと腰を上げた。 勝手口の玉暖簾を洗…
兄弟たち、わたしもそちらに行ったとき、神の秘められた計画を宣べ伝えるのに優れた言葉や知恵を用いませんでした。 なぜなら、わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていたからです。…
あなたがたはキリストに結ばれ、あらゆる言葉、あらゆる知識において、すべての点で豊かにされています。 こうして、キリストについての証しがあなたがたの間で確かなものとなったので、 その結果、あなたがたは賜物に何一つ欠けるところがなく、わたしたち…
たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。 全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、…
岩を打って水を出すことよりも、岩に命じて水を出すことの方が信仰が必要である。 自分の行いに満足することには信仰は要らない。しかしキリストの行いに安息することには信仰が必要である。 愛する者たち、わたしたちは、今既に神の子ですが、自分がどのよ…
わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。(Ⅰヨハネ4:10) エデンの園で、禁じられていた善悪の知識の木の実を食べて以来、人は自他を責め訴…
三連休で次男が帰ってきてお風呂場の工事をしてくれた。彼は気が付いたことは何でもてきぱきと修理してくれる。 インターネットで調べて半日がかりで器具を買いに行き、帰って来るなり取り付けてくれたが、何しろ四十年近く経つ古屋なので今の製品がそう簡単…
御父がどれほどわたしたちを愛してくださるか、考えなさい。それは、わたしたちが神の子と呼ばれるほどで、事実また、そのとおりです。世がわたしたちを知らないのは、御父を知らなかったからです。 愛する者たち、わたしたちは、今既に神の子ですが、自分が…
だれが世に打ち勝つか。イエスが神の子であると信じる者ではありませんか。 この方は、水と血を通って来られた方、イエス・キリストです。水だけではなく、水と血とによって来られたのです。そして、“霊”はこのことを証しする方です。“霊”は真理だからです。…
「光の中にいる」と言いながら、兄弟を憎む者は、今もなお闇の中にいます。 兄弟を愛する人は、いつも光の中におり、その人にはつまずきがありません。(Ⅰヨハネ9~10) 罪なきイエス様が全人類の罪を負って十字架で死刑となり、神様に対して人の罪は完全…
三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。(マタイ27:46) 十字架上のイエス様を御父が捨てられたのは、人の罪を負って罪人となって…
自分に罪がないと言うなら、自らを欺いており、真理はわたしたちの内にありません。 自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。 罪を犯したことがないと言うなら、それは神を偽…
初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたものを伝えます。すなわち、命の言(ことば)について。 この命は現れました。御父と共にあったが、わたしたちに現れたこの永遠の命を、わたしたちは見て、あなたがたに証し…
ひとり暮らしの 落とし穴 ぽっかりと時が止まることがある。 そんな日に、あるアドレスをクリックして、 マーラーの「復活」と出会った。 クラシックは何でも、理屈も知らずに好きだけれど、 どっぷりと浸かるに戸惑いもある。 揺さぶられる感情の掘り起こす…
女たちは十字架のイエス様から目を反らせず、葬られるときも墓まで行って見とどけた。 彼女たちは自分にできることを、安息日の掟をも重んじて粛々と行った。 動けない安息日が明けるのを、彼女たちはまんじりともせずに待っていたことだろう。明け方早く飛…
ちょうどこの日、二人の弟子が、エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、 この一切の出来事について話し合っていた。 話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。(ルカ24:13~…
毎年のごとく大きな日記帳を買って、 まだ一字もないページを繰ってみる。 終わりまで書くのだろうか・・、ふっとそんなことを思った。 人は明日のいのちさえ分からない。 それでも、今私の心は弾んでいる。 1月1日にどのようなことが書き込まれるのだろう…
イエス様は二人の強盗と一緒に処刑された。 このことはイエス・キリストがただの罪人となられたことを現している。此処には欠片も神のキリストという特別扱いはなかったから・・。 だからこそ、人は自分自身を十字架のイエス様と重ねることができるのだ。イ…
「ヘロデはイエスを見ると非常に喜んだ。」(ルカ23:8)この記述で、日本に置けるクリスマスを思い出した。何かがよく似ている。 ヘロデが喜んだものは手品師のわざであり、退屈を紛らわせる余興であったようだ。 イエス様は沈黙された。 裁くピラトが「…
箱舟の中で、知恵を尽くして航路を模索する必要はない。箱舟に穴を開け、力を尽くして漕ぐことは危険である。 神によって置かれた所に、従順によって安息することこそ必要なのである。 此処で箱舟の外に心を奪われることは主に失礼である。 「わたしについて…
「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。 しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」 するとシモン…