いいですか。わたしは狼の中に羊を送り出すようにして、あなたがたを遣わします。ですから、蛇のように賢く、鳩のように素直でありなさい。(16)
世に対しては蛇のように賢く強かで、みことばに鳩のように素直に聴き、自身の弱さを知って従順するなら何処に在っても神の守りに在る。
蛇の賢さも鳩の素直さも、聖霊の導きの中に備えられてある。聖霊はサタンが操る蛇よりも賢く強いからであり、鳩のような素直さと弱さに、主を迎えて聴くとき力が与えられる。それは神から発したことばを行う力である。
弱さを知ってみことばに寄り頼む素直さには、サタンが罠を設ける隙は無い。それこそ主の完全な備えである。
人々には用心しなさい。彼らはあなたがたを地方法院に引き渡し、会堂でむち打ちます。
また、あなたがたは、わたしのために総督たちや王たちの前に連れて行かれ、彼らと異邦人に証しをすることになります。(17~18)
体に対する苦痛と信仰が問われる脅しを受ける時も、それらはイエスが経験してくださったことゆえに、主の憐みと備えの中に守られる。
主は私たちが塵に過ぎないことをご存じなので、耐えることの出来ない経験はさせられない。主のご真実は、危機の中で信頼する者に平安を与えて守られる。
ペテロが牢に捕らえられ明日は殺されるという夜も、御使いに起こされるまで熟睡していたことを思い出す。そのペテロの強かさは主に信頼する者の姿である。
それはペテロを守っておられるキリストの平安であり、私たちも同じキリストの平安に守られている者である。
すると見よ。主の使いがそばに立ち、牢の中を光が照らした。御使いはペテロの脇腹を突いて彼を起こし、「急いで立ち上がりなさい」と言った。すると、鎖が彼の手から外れ落ちた。(使12:7)
牢に寝て居ても王の前に立っても、主に信頼する者にはみことばを開いて主に聴く昨日に続く今日である。
語るべきことばを備えて王の前、迫害者の前で賢く強かに振舞わせてくださる。すべては聖霊が準備してくださるイエスのことばの権威に拠ることである。
人々があなたがたを引き渡したとき、何をどう話そうかと心配しなくてもよいのです。話すことは、そのとき与えられるからです。
話すのはあなたがたではなく、あなたがたのうちにあって話される、あなたがたの父の御霊です。(19~20)
その時主に在っては素直な羊であり、何も知らない幼子のように導かれるままを語る。
たまわったみことばを語っている者は、実は自分自身が教えられていて、主を経験しているのである。
主の備えてくださった通り良き管の働きは、鉄管やビニル管ではなく生きて働く血管なので、みことばを流し伝えることで、誰よりも先に主の養いを受けているのである。
主は聞き従う者を、死の間際であっても成長させてくださる。それは永遠のお交わりを楽しむための備えである。
そう、永遠という時の間にもお交わりが尽きることなく、盛り上がるために。