ミリアムとアロンは、モーセが妻としていたクシュ人の女のことで彼を非難した。モーセがクシュ人の女を妻としていたからである。(1)
モーセを用いておられる神がこのことをご存じないであろうか。アロンとミリアムの罪は、神の全能がわかっていないことである。
彼らは言った。「主はただモーセとだけ話されたのか。われわれとも話されたのではないか。」主はこれを聞かれた。(2)
ミリアムとアロンが、モーセを訴えていることを聞かれたのは主であった。主が、噂話や内緒話を誰よりも早く聞いておられる。
この時、モーセはなんのアクションも起こしておらず、動かれたのは主であった。
モーセという人は、地の上のだれにもまさって柔和であった。
主は突然、モーセとアロンとミリアムに、「あなたがた三人は会見の天幕のところへ出よ」と言われた。そこで彼ら三人は出て行った。(3~4)
モーセについての一切の責任を負っておられるのは主である。モーセを選ばれたのは主だから、モーセを用いることを訴えるのは、神の選びを訴えることである。
主は雲の柱の中にあって降りて来られ、天幕の入り口に立って、アロンとミリアムを呼ばれた。二人が出て行くと、
主は言われた。「聞け、わたしのことばを。もし、あなたがたの間に預言者がいるなら、主であるわたしは、幻の中でその人にわたし自身を知らせ、夢の中でその人と語る。(5~6)
これが、「われわれとも話されたのではないか。」とつぶやいた彼らへの神の答えである。人を選び評価をされるのは、創造主なる神の権威によることである。
彼らは口にした言葉によって、神は彼らから遠く離れおられることを知らされた。
だがわたしのしもべモーセとはそうではない。彼はわたしの全家を通じて忠実な者。
彼とは、わたしは口と口で語り、明らかに語って、謎では話さない。彼は主の姿を仰ぎ見ている。なぜあなたがたは、わたしのしもべ、モーセを恐れず、非難するのか。」
主の怒りが彼らに向かって燃え上がり、主は去って行かれた。(7~9)
神がモーセの柔和を愛された。彼の従順による関係の中に近しく居て、親しく語りはっきり命じて間違いを犯させなさらない。
今、キリスト者のうちには三位一体の神がいてくださる。みことばを解き明かして、信頼を増す日々の交わりを喜んでいてくださる。親しく解くみことばによって失敗から守っていてくださる。
キリスト者はそのような関係に従順して、主に安息しているのである。
雲が天幕の上から離れ去ると、見よ、ミリアムは皮膚がツァラアトに冒され、雪のようになっていた。アロンがミリアムの方を振り向くと、見よ、彼女はツァラアトに冒されていた。(10)
主は、ミリアムの心から出た言葉を表に現し、彼らの汚れた状態が誰の目にも見えるようにされた。主に逆らう罪は永遠の死をもたらせる。モーセを用いる神を非難したからである。
アロンはモーセに言った。「わが主よ。どうか、私たちが愚かにも陥ってしまった罪の罰を、私たちに負わせないでください。
どうか、彼女を、肉が半ば腐って母の胎から出て来る死人のようにしないでください。」
モーセは主に叫んだ。「神よ、どうか彼女を癒やしてください。」(11~13)
やっとアロンは主に従順して、モーセを主人と呼ぶことが出来たのである。姉の姿によって神を恐れることを学んだからである。
モーセの選びも働きもすべては主から発したことであり、彼は主に命じられた役割を果たしているだけである。主の一方的な選びに従ったのであり、モーセには自分を省みる余地さえ無い。
神は彼の妻を知っておられる。それでも神が彼を用いておられるのである。彼にはどうすることも出来ないことである。
しかし、モーセは姉を憐み、アロンを許して執り成しの祈りをした。これも彼の柔和の現れである。もっとも、モーセが柔和で愛深いのは、神の慈しみ深い愛の中に居るからである。
主はモーセに言われた。「もし彼女の父が彼女の顔に唾したら、彼女は七日間、恥をかかされることにならないか。彼女を七日間、宿営の外に締め出しておかなければならない。その後で彼女は戻ることができる。」(14)
父が娘に唾を吐いても七日間汚れるとは、家族間の問題であっても、それがもたらせる汚れは神の前にあるのである。罪は家族間で済む話ではないのだ。
主は公正に彼女を裁かれたが、モーセの祈りも聞き入れてくださった。罪のあがないが済むまで待てと・・。
それでミリアムは七日間、宿営の外に締め出された。民はミリアムが戻るまで旅立たなかった。
それから民はハツェロテを旅立ち、パランの荒野に宿営した。(15~16)
民全体が神の裁きを受け入れたのである。この時民はモーセを主と立てて一つであったろう。神の御用の中で、家族から責められることは驚くようなことではなく昔からあることなのだ。親しさの中で肉はもっとも激しく働くものである。
このとき動かれたのは神である。モーセは一貫して何も言わず、ただ、主に執り成しの祈りをした。
神が命じられたことを行っている者への責め言葉には、神の子であることを証してくださる。任命して用いている責任を取ってくださる。
モーセには訴えられても責められても、その働きを止めることは許されていないからである。
あなたを攻めるために作られる武器は、どれも役に立たなくなる。また、あなたを責め立てるどんな舌も、さばきのときに、あなたがそれを不義に定める。これが、主のしもべたちの受け継ぐ分、わたしから受ける彼らの義である。(イザヤ54:17)