石ころ

聖書のことばと詩と短歌や俳句などで書いています。息子の美しい写真とのコラボです。

黒い馬(黙示録6章)

 

小羊が第三の封印を解いたとき、私は、第三の生き物が、「来なさい」と言うのを聞いた。私は見た。見よ。黒い馬であった。これに乗っている者は量りを手に持っていた。
すると私は、一つの声のようなものが、四つの生き物の間で、こう言うのを聞いた。「小麦一枡は一デナリ。大麦三枡も一デナリ。オリーブ油とぶどう酒に害を与えてはいけない。」(5~6)

 

秤は完全や充分に対しては不要なもの。天の御国には秤はないだろうと思う。イエスさまの給食のパンは欲しいだけ与えられて余った。天から降ったマナも量らずに与えられた。
天では人も完全にされて、量られることは無いだろう。
命の糧が法外な値段という貧しさは、神に聞き従うことの無い、頑なさに対する裁きであり、それは神の義のゆえである。

 

オリーブ油もぶどう酒も主への捧げものに注がれ、オリーブ油は聖所のともしびとなり、神さまの必要は神が守られる。主にある者は主によって完全に守られる。それがどのような状況の中にあろうとも・・。

 

箱舟(創世記6章)も、門柱に塗る血(出エジプト12章)も、赤い紐(ヨシュア2章)も、みことばに聴き従ている者に準備させてくださった。そう、最悪の死でさえも、天に永遠の住まいを準備してくださっている。


それゆえ私たちは恐れる必要はない。ただ、みことばに心を空っぽにして耳を傾け、今日を生きるみことばの備えに聴くならば・・。