小羊が第四の封印を解いたとき、私は、第四の生き物の声が、「来なさい」と言うのを聞いた。
私は見た。見よ。青ざめた馬であった。これに乗っている者の名は死といい、そのあとにはハデスがつき従った。彼らに地上の四分の一を剣とききんと死病と地上の獣によって殺す権威が与えられた。(7~8)
剣は、今や銃や原爆や細菌兵器などあることを聞くとき、科学の進歩によって人の命が、一瞬で多く失われるようになってしまったとわかる。
地球規模で貪欲から発して変化した自然は、旱魃をもたらして、飲み水に渇き泥水を飲む子を見た。
野山を焼き尽くして畑を枯らし動植物を減らして飢饉を招き、それは動物の生き方をも変えて人を襲うようになる。すでにかってのように人間を恐れなくなって来ている。
科学や医学が進むと、すべての問題に勝利できると思われていたが、今では誰もそんなことは信じていない。
どんなに人の知恵が進んでも、それをやすやすと超えて脅かすものが出てくるのだ。
この巻物が本当に解かれる時が来たら、たちまち地上から四人に一人の命が失われ、たとえ生き残っても何処にも平和はないだろう。
青ざめた馬はハデスを従えている。ハデスの鍵をもっておられるのはイエス・キリストだけである。そこから出る時は裁きに引き出されるためであり、火の燃えるゲヘナで第二の死を迎えるためである。
その方は私に仰せられた。「人の子よ。あなたの前にあるものを食べよ。この巻き物を食べ、行って、イスラエルの家に告げよ。」(エゼキエル3:1)
預言者エゼキエルは、イスラエルの民に神のことばを語ることを命じられた。
厳しい神の裁きを伝えるために、彼の顔はダイヤモンドのように強くされ、傷つくことのない無神経さが備えられた。辛い言葉を怯むことなく伝えるには、相手の感情に動じることのない備えが必要だからである。
見よ。わたしはあなたの顔を、彼らの顔と同じように堅くし、あなたの額を、彼らの額と同じように堅くする。
わたしはあなたの額を、火打石よりも堅い金剛石のようにする。彼らは反逆の家だから、彼らを恐れるな。彼らの顔にひるむな。(エゼキエル3:8~9)
彼がそのような役目を負うのは、彼が神の言葉を食べて腹に治めたからである。神のことばを受け取った者は、みこころを行う役割を負うのだ。
自分の十字架を負ってキリストに従う者は、今も聴いた言葉を伝える役割を負っている。
わたしが悪者に、「あなたは必ず死ぬ」と言うとき、もしあなたが彼に警告を与えず、悪者に悪の道から離れて生きのびるように語って、警告しないなら、その悪者は自分の不義のために死ぬ。そして、わたしは彼の血の責任をあなたに問う。(エゼキエル3:18)
「悪者」とは造り主なる神を神とせず、御子イエス・キリストのあがないのことばにも耳を貸さず、自分に思いのままに生きる者である。
大患難時代をそのままに伝えることこそ、まだ間に合う今ならではの神の愛である。
神は愛するひとり子の血を流し十字架刑の恥を負わせて、来る者を救おうと今も待っておられる。