
聖書を開いて、主に「これはなんのこと?」って問うことが喜びの始まり・・。
それは、御父と御子と聖霊による交わりだから。
そこにあるのはいつだって大発見。
まったく思いも寄らないことばかりだから面白い。
まさしく、聖書に書いてあるとおりです。「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮んだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」(Ⅰコリント2:9)
それは、正しいか?そんなこと御父は望んおられるだろうか・・と思う
わかるわけがない。
そんなこと、どこで判断するのか・・
何によって判断するのか・・
人に分かるわけがない。
それでも、永遠に変わることのないいのちであることはわかる。
「白い羊毛のようだった・・」
「雪のようだった」
「燃える炎のようだった」
「光り輝いていた」
「しんちゅうのようだった」
などと、そのとき知ったことを記す。
こんなふうだから人にはさっぱりだろう・・、
記憶はぼんやりと過ぎて行くから、知ったことは記す。
それには少しばかり頑張らなければならない。
自分にもわからんことを知らせるには勇気が要る。
それでも、先に進みたいから、もっと知りたいから・・、
もっともっと主のお側に居て、交わりを味わって、主をはっきりと知りたいから書く。
それらの燭台の真中には、足までたれた衣を着て、胸に金の帯を締めた、人の子のような方が見えた。
その頭と髪の毛は、白い羊毛のように、また雪のように白く、その目は、燃える炎のようであった。
その足は、炉で精練されて光り輝くしんちゅうのようであり、その声は大水の音のようであった。
また、右手に七つの星を持ち、口からは鋭い両刃の剣が出ており、顔は強く照り輝く太陽のようであった。(黙示録1:13~16)