石ころ

聖書のことばと詩と短歌や俳句などで書いています。息子の美しい写真とのコラボです。

サマリヤの女が聴いた言葉(ヨハネ4章)




エスさまはサマリヤの町を通られて、疲れて井戸のかたわらに腰をおろしておられた。

ひとりのサマリヤの女が水をくみに来た。イエスは「わたしに水を飲ませてください」と言われた。
そこで、そのサマリヤの女は言った。「あなたはユダヤ人なのに、どうしてサマリヤの女の私に、飲み水をお求めになるのですか。」──ユダヤ人はサマリヤ人とつきあいをしなかったからである──
エスは答えて言われた。「もしあなたが神の賜物を知り、また、あなたに水を飲ませてくれと言う者がだれであるかを知っていたなら、あなたのほうでその人に求めたことでしょう。そしてその人はあなたに生ける水を与えたことでしょう。」(ヨハネ4:7~10)


エスさまはいのちの泉を用意し、女が渇きを覚えるまで交わりを深めて行かれる。サマリヤを通られた理由が、女を通していのちのメッセージを伝えるためであることがわかる。

彼女は言った。「先生。あなたはくむ物を持っておいでにならず、この井戸は深いのです。その生ける水をどこから手にお入れになるのですか。

エスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。
しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」
女はイエスに言った。「先生。私が渇くことがなく、もうここまでくみに来なくてもよいように、その水を私に下さい。」(ヨハネ4:11.13~15)


彼女の臆する事のない真っ直ぐな求めによって、イエスさまがこの女を選ばれわけがわかる。

エスは彼女に言われた。「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」
女は答えて言った。「私には夫はありません。」イエスは言われた。「私には夫がないというのは、もっともです。
あなたには夫が五人あったが、今あなたといっしょにいるのは、あなたの夫ではないからです。あなたが言ったことはほんとうです。」(ヨハネ4:16~18)


エスさまは、用いようとする者の陰を光の下に引き出される。彼女のすべてを用いるためである。精一杯の告白に、イエスさまはフォローしながら罪を引き出し、彼女の言葉を「ほんとう」と受け入れて、罪の重荷と煩いから解放された。

女は言った。「先生。あなたは預言者だと思います。私たちの父祖たちはこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムだと言われます。」
エスは彼女に言われた。「わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが父を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時が来ます。(ヨハネ4:19~21)


「あなたは預言者」という言葉を受けて、イエスさまのお言葉が2017年版では「女の人よ。わたしを信じなさい。この山でもなく・・」となっていた。
「あなた」という時の呼びかけとは違って、彼女を一人前に扱いわれたように思えた。信仰が進む中で感じるイエスさまの細やかさである。

「しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。
神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」

女はイエスに言った。「私は、キリストと呼ばれるメシヤの来られることを知っています。その方が来られるときには、いっさいのことを私たちに知らせてくださるでしょう。」
エスは言われた。「あなたと話しているこのわたしがそれです。」(ヨハネ4:23~26)


キリスト者の礼拝は、聖霊の助けの中でイエスさまを主と告白して、みことばを聴き、真理であるイエスさまの十字架を通って父なる神さまを礼拝する。
今、その礼拝は私たちの霊においては、寝ている時も、仕事に没頭している時も、遊んでいる時でも続いている。この礼拝が無い所ではキリスト者は窒息してしまうのだ。

さて、その町のサマリヤ人のうち多くの者が、「あの方は、私がしたこと全部を私に言った」と証言したその女のことばによってイエスを信じた。

そして彼らはその女に言った。「もう私たちは、あなたが話したことによって信じているのではありません。自分で聞いて、この方がほんとうに世の救い主だと知っているのです。」(ヨハネ4:39.42)


女は「私がしたこと・・」を用いてキリストを知らせ、彼女が聴いた言葉は此処に成就した。